人気ブログランキング | 話題のタグを見る

14-4■第一次政友会内閣成立


 ところが伊藤の腹案は、党外の藩閥元老井上馨を大蔵大臣とし、官僚出身の筆頭渡辺国武、を内務に据える計画であったのである。そうなると内閣の実質は、依然として藩閥官僚の内閣であって、政党は彼らに降伏したことになるのである。これは星亨の忍びえないところであった。

 そこで彼は、政党の統制を保つためには、党情に通じた者を内務大臣にしなければダメだと、伊藤に説いた結果、伊藤もこれを諒解し、彼に内務大臣を振り当て、渡辺は副総理格として留守番に当たらせようと決心した。

 内務大臣を予期した渡辺は、決して大蔵大臣を希望したのではないが、これを知って大いに憤慨し、「伊藤は何のために政友会を作ったのか、政党を改革するためといったではないか、閣臣の任免は憲法上大権に属し、元首の自由意思に存すると宣言したではないか、星亨を内務大臣に任じて、何の政党改革か、政党に強要されて、閣員を定めるなど、宣言に何の権威があるか、自分は伊藤に欺かれた、『狡兎死して良狗煮らる』もうこれまでだ」と、八日早朝伊藤を訪ね、暴言を吐き脱党を申し込んだ。井上をはじめ、官僚出身の友人らが熱心に慰撫したけれども、頑として承知しない。

 渡辺の実兄渡辺千秋は、宮内省内匠頭として宮相田中光顕に信用され、省内に勢力を張っていたが、彼は田中に依頼して、天皇に国武の意見を奏上したらしい。

 一〇日午前、田中宮相と岩倉侍従職幹事は彼を訪ね、星亨を内務大臣に任じることは、天皇が御不満に思しめさるので、伊藤に勧告することになったから、暫く静観せよと告げた。そこで彼は忽ち自ら言うところの『心機一転』、翌一一日、伊藤を訪ねて脱党を取消、前日の暴言を陳謝した。(注1)(注2)

政友会総務委員は渡辺の入閣に反対し、中には除名を主張した者もあり、井上も彼らの憤慨に同情したことは、書簡に述べている通りであるが、渡辺に重要な椅子を与えなければ、また何事をしでかすも知れないと憂い、自分の入閣を謝絶して渡辺に譲ったのである。

第一次政友会内閣(第四次伊藤内閣)は明三三年一〇月一九日、次のように成立した。

内閣総理大臣 伊藤博文、外務大臣 加藤高明、内務大臣 末松謙澄、大蔵大臣 渡辺国武、陸軍大臣 桂太郎、海軍大臣 山本権兵衛、文部大臣 松田正久、司法大臣 金子堅太郎、逓信大臣 星亨、

農商務大臣 林有造

星亨は大臣に就任したので、東京市参事会員を辞した。彼の逓信大臣在任は僅か六〇余日に過ぎなかったから、仕事をする閑もなかった。彼は逓信事務をいつ研究したのか、就任の初めに部下に訓示したところは、一々その急所を突いて官僚を驚かし、殊に事務簡単敏速にすることに力を注いだ。官僚派わざと事務を複雑にして、素人に判らないように仕組み、それで外間の侵入を防ぎ、彼らの地位を安全にしようとしたのである。彼は何よりこの手品の種を奪い取ろうとしたのであった。


(注1)渡辺国武が「伊藤を訪ね、暴言を吐き脱党を申し込んだ」真意と「『心機一転』、翌一一日、伊藤を訪ねて脱党を取消」した経緯に関して五頁にわたってその裏付けとなる書簡を紹介している。しかし星亨とは直接関係がないので、削除した。なお、「歴代内閣物語・上巻」の196p~202pに分かりやく紹介している。新たに「原敬日記」からその裏付けを取っている。

(注2)伊藤が井上に送った書簡中には、非常に党人を非難している。「伊藤は政党を樹立しても、天皇政治、官僚独善思想から一歩も出ていなかったのである。いかにも伊藤は『人民のための政治』を志したに違いないけれども、『人民による政治』ということに対しては、理解を持たなかったのである」と蓮山は書いている。


第14章 終わり



by mrenbou | 2019-03-03 09:53 | 星亨伝14章